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南宋における国・公・私 1995年度宋代史研究会における、斯波義信氏報告要旨。幹事である私が勝手にまとめたもので、文責は私にある。
容斎随筆に「衆とこれを共にするを、義といふ。義倉、義社、義田、義学、義役、義井の類ひ、是れなり」(巻8「人物以義為名」)と述べらる倉庫や書院などを含め、南宋には人々の公共的性格を有する施設が少なくない。この「公」と呼ぶべき領域は、「国家」、あるいは利己的な「私」のいずれにも包摂されない領域であり、行政に比し、人口面から言っても社会的な活性度からも規模が増大した南宋〜明清の社会秩序を理解するうえで、欠かせない考察対象である。本報告では、明州の好義の士、書院の動向、ことに「水則」に見られる水利の運用の実態を手掛かりに、南宋におけるかかる公共的領域public sphereの成長を再考し、南宋にエリートの関心が、むしろ地域社会に向かって行った事実を指摘する。また、前代の義倉、常平倉にも併せて言及し、王安石時代にクライマックスを迎えたその官営的な性格が、南宋にいかに後退し、変質して行くかも併せて一考する予定である。
参考文献:溝口雄三『公と私』 労働力市場 大島真理夫氏が「支配」という場合、それは中国史にあっては王朝に課せられる税役が意味されているようであるのに対し、拙稿で話題にする奴隷制や農奴制は、私的な奴隷主や荘園領主による役使の形態である。しかし、公権力による税役制も私的な労働力調達の形態も、本質的には近い関係にあると思われる。まず、公権力による労働力に二通りあったとしよう。割り当てによる賦役労働と、労働市場から調達する形態である。経済的に見て、そのうちどちらが見合うかは、他の諸条件が同じならば、労働の限界生産物価格から労働力の徴発・役使・監督・評価等にかかる限界費用もしくは実質賃金のうち、どちらを差し引いた額の方がより低いかによって決まってくる。仮に市場が完全に自由だとすれば、実質賃金は限界生産物価格は等しくなるから、当然、労働力の供給が増せば、賃金は低下する。他の生産要素の賦存量が一定であれば、収穫逓減法則が働いて労働の限界生産は低下し、同時に監督等諸費用は、一旦低下した後増大するU字曲線を描くことが知られている。
中国前近代の小農経済に人身の拘束の後退、または税制面における把握の重点の人から土地への移行、というような一定の方向性をもったトレンドは見られるだろうか。まず経済理論としては、成立する可能性がある、とは言い得る。たしかに、拙稿で参照したような、明快ではあるがプリミティブなモデルは、ceteris
paribus(他はすべて等しいこととする)という条件から出発する経済学的アプローチの常として、無数に多くの変数を無視している。例えば、「有力者」がなぜ有力であるのか、経済理論は十分に答え得るか疑問である。また生産物市場の発達や、貨幣に関しても、一切考慮に入れていない。しかし、漢代の高々三〜五千万という人口とその十倍近い清代のそれとを考えるとき、束縛的な労働の制度から自由労働へ、あるいは徭役労働に重点を置く秦漢以来の人基準の税制から地丁銀制という土地基準の税制へという図式は、経済理論的には非常にすっきりと理解できるのである。また宋元佃戸制研究における寛郷狭郷論が、経済理論とは全く無縁に、史料の中から実証面で要素賦存と生産者の隷属性の関係を指摘していた事実は、中国前近代史の身分問題でも、「生産力上昇↓身分解放」モデルによらない経済学的分析が有効である可能性を強く示唆するものである。 宋会要食貨等中における越訴規定の出現
○越訴:宋会要食貨
○越訴:宋会要食貨
○越訴:宋会要食貨
○越訴:宋会要食貨
○越訴:宋会要職官79:23,宋会要食貨 仁井田陞「旧中国人の言語表現に見る倫理的性格」『中国法制史研究 法と慣習法と道徳』。魯迅などにより、「他マー的」について、こうした表現は他に殆ど見られないと論じている。トルコから帰った小林高四郎氏がトルコ語の類似表現があると紹介し、朝鮮でもあるようだ、とされるが、仁井田氏がアメリカに行ったら、さぞ驚いたろう。まいにち「m_th_r f_ck_r」だの「f_ck_ng _ssh_l_」だの聞かされるからだ。なお、m_th_r f_ck_rは放送禁止用語で、ラップなどでは
The word to you mother と言い換えている(このまえ借りた米映画ビデオでは、A-hole!!と言っていた)。台湾でもよく「カンマー!」というのを聞く。
当然、大陸でも「他マー的」は言うだろう。氏は本気で、新中国では「他マー的」がなくなってきていると信じていたようで、福地いま氏が解放後の四川で、そういう言い方がなくなってきた、と言っていたというのだが、私としては信じがたい。
文面から察するに、質問に正直な答えが帰ってくると信じた、仁井田氏の質問方法に間違いがあったのではないかと想像する。 |